ザ・皮膚 ナニしてるんだよ!

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ナニしてるんだよ!



第五回テーマ『自分語ルシス』

提唱者:ひびき
今回の記事:ふれ


なんか今回からは調子乗ってフォントいじりを解禁してみたいと思います。
読みやすいようなら次回からも継続していきたいと思います。
あんま使わないですけど。


一言に「なんでブログ書いてるの」と問われても、答えは千差万別であることは明白である。
ある人は自分の生きた証を残す手段であったり、ある人は他者との交流のためだったり、ある人はストレスの発散だったりと、あげていけばキリがない。
ただ、ブログを書く意味の追求を行った際に、全員に共通していると考えられるのは自己表現、そして気持ちの共有であろう
そしてそれらの根本にあるのが、人間の欲望であると言える。

毎日日記をつける者や写真をアップロードする者は、気持ちの共有を求める。
特に意味もなく散文を書き続けるブログも、多少なりとも気持ちの共有を求めている点はあるのではないだろうか。
何か思想や考え方について綴るブログ(このブログとか)は、考えの共有を求める。
当ブログ(ザ・皮膚)はそれに加え、他者の意見も聞いてみたいという欲望もかなえられている。

例として三つを挙げたわけだが、あくまで私の推測の域以上の話ではないわけであり、決してこれが全てのブログを書く理由に共通していると言い切る自信はないが、少なくとも8割方は前述の通りではないかと思われる。



さて、まあそういっているだけでは話は広がる一方で収束しそうにないので、私の例をあげてそこから考察してみることとする。

通称ヴァージンキラーひびきが先週書いたように、私は少なくとも覚えている範囲内で5年近くネットに文章を公開し続けている。
そのスタイルは様々であった。
最初はQueenが好きで好きでたまらなく、ブログを開設して同士を探し交流を行うために。
次はブログだけでは気が済まず、サイトの開設に手を出し、さらなる気持ちの共有を求めるようになった。
そうしているうちに文章を書くことの楽しさを覚えるようになり、次第にテキストサイトを定期的にチェックするようになる。
(因みに余談ではあるがその中の一つであり、私が散文を書くきっかけとなったサイトがえあぱそであった。正確には違うが、本筋と関係ないため割愛する。)
そうしてテキストをあげようと思って一番最初に開設したブログがQueen的ほにゃららら(特に意味はないが伏せる)というブログであった。
多分3年ぐらいここでテキストを公開し続けていたはずだ。
この時点で、最初のネットで文章を公開する理由とは差異が生じている。
その差異というのが、交流から表現である。
人間の欲なのか、受身である交流だけでは気が済まず、今度は与える側としての場所を私はネットに求めた。
とは言っても流石に3年も書いてくると惰性や飽きがやってくる。
そこで私はこれまでのテキストメインのブログから、特に誰にとっても意味の無い、悪く言えば非生産的なブログである今のブログ、えねラルほーレを開設することとなる。
今私がネット上に文章を公開し続けている理由は、他でもない惰性であると言える。
何かを求め文章を書いているわけでもなく、何かを生むために文章を書くわけでもなく。
ただただ喫煙者がたばこを吸うかのような感覚でネット上で文章を公開し続けている。
いうなればこの文章を書くという行為自体が、一種の精神安定剤のようなものであり、麻薬であると言えるかもしれない。
極端な例かもしれないが、私がネットで文章を公開し続けている今の理由はそういったことからである。



一見最初に挙げたネットに文章を公開する理由と私の理由との間に共通点は見つからないように思われる。
しかし元をたどってみると意外とそうでもない。
今回の考察のメインとしてあるのが『ずっとブログを書いてきて何を想うか?』ということだが、全てのライター(ここでいうネットに文章を公開する人)に共通することは、自分という像を公の場で表現することによって安心感、つまりカタルシスが作用しているのである。
今回のテーマでもあり造語でもある自分語ルシスというのは非常に的を射た表現であり、大いに賞賛したい。
まさにその通りなのである。

番外編というか、少し話の筋が逸れるためあまり多くは言及しないが、ネット上で現実の自分とは大きく乖離した理想像を作り上げること、いわゆるネット弁慶と呼ばれるものも、この今回のテーマ『ネットに文章を公開する理由』に大きく関わってくるのではないかと思われる。
しかし元をたどってみれば、これも精神の安定や安心感の確立のための手段であるため、やはり前述した例と同じ現象が生じていると言えよう。



自己表現も共有もなくていいのであるなら、わざわざウェブ上に文章を公開する必要も意味もない。
紙媒体に書くよりも手軽で管理がしやすいという理由でブログを選んでいる人間だっているのだろうが、恐らくそれはごく僅かなものであると思われる。
私が今ネットに文章を公開し続ける理由の大部分は惰性が占めている気がするが、やはり心のどこかで思想や考えの共有を求めている。
そしてその先にあるのは精神浄化、つまりカタルシスである。

自己表現は自分が生きている証、厨二風に言うと己の存在の証明である。
情報化社会と化し、己の書いた文章までもが情報として記録され、人々に記憶されることが可能になった現代。
その立役者となったのがブログであり、今やブログは人々にとって一種の麻薬のような存在になっているのかもしれない。
今人類は新たなツール、いわば自分自身の投影が可能なツールを手に入れたわけだが、その反面何かを我々は失ってはいないだろうか。
その失ったもの、今ならまだ取り戻せるかもしれない。
ちょっと足を休めて、たまには後ろを振り向いてみるのもいいかもしれません

2009/08/12 02:42 | 自分語ルシスCOMMENT(0)TRACKBACK(0)


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